私が開院した理由

悪夢は突然やってきました。

あれは14歳の夏頃でした。
朝起きた時に膝に痛みが走るのを覚えました。

最初のうちは、「どこかにぶつけたっけ?」とか
「そのうち治るだろう」と思っていました。

ところが痛みは日に日に増していき、ついには
サッカー部の練習もできなくなりました。

それはやがて日常生活も困難なぐらいの痛みになり、病院で診てもらうことになりました。

 

診断結果は…

診断結果は、成長期に起こりやすい膝の痛み
(オスグット・シュラッター病)ということでした。

痛みには個人差があるようですが私の場合はかなり重く、
膝に何かが少し触れるだけでも激痛が走りました。

それはもう毎日が痛みとの闘いで、病院通いの毎日でした。

いつになっても痛みが治まらず、母もどこか良い病院が
ないかといろいろ探してくれました。

 

良い病院があると聞けば…

多少遠くても行きました。

ところがどこへ行っても診断は同じで、オスグット用のバンドを膝に装着
することと、治療は痛み止めの注射や飲み薬をもらうだけでした。

毎日飲み薬を飲み続け、2~3日に一度注射をうつしかありませんでした。

病院だけではなく、いろんな接骨院や治療院に行きましたが
症状は改善されませんでした。

やがてストレスと飲み薬のせいからか、胃が荒れ始め
内臓機能も不調に陥りました。

 

『悪夢』からの出会い

それはまさにある日突然やってきた『悪夢』でした。

それからしばらくして、祖母の勧めで鍼灸院に行くことになりました。
そこではじめて体験したのが『鍼灸治療』でした。

遠かったので週に1回ほどしか通院できませんでしたが、
不思議と内臓の調子は良くなり、完治とまでは行きませんが
膝の調子も徐々に良くなって行きました。

はじめて触れた『鍼灸治療』は神秘的で、とてつもなく
衝撃的だったのを今でもはっきりと覚えています。

明らかに病院の治療とは違うということを、身を持って体験したのでした。

 

やりたいことができない悔しさ

その後も高校・大学とスポーツを続ける中でケガの
多かった私は、やりたいこと(私の場合はスポーツ)が
できない悔しさを嫌と言うほど思い知らされました。

日に日にストレスは溜まり、

「なぜ自分がこんな思いをしなくてはいけないんだ」

と、ネガティブな被害妄想に陥ったこともありました。

同時にその頃から私は、鍼灸やカイロプラクティック
など様々な治療を体験していくことになりました。

 

『思い』が『志』に変わりました。

大学卒業後、社会人になってからも内臓を壊してしまい、
あらゆる治療に触れることになりました。

そんな中で、自分もケガや病気で苦しんでいる人に治療で貢献し、日常生活や
スポーツを快適にやってもらいたいという思いが芽生えてきました。

最初に考えたのはアスレティック・トレーナーになることでした。
簡単に言うとスポーツトレーナーです。

 

しかし日本には

スポーツトレーナーとしての国家資格はありませんでした。

そのため教育レベルは専門学校によってピンキリで、 国家資格のように一定の水準を満たさない限り認められない、 というものではありませんでした。

やはり高いレベルで学ぶためにはアメリカに行って
アスレティック・トレーナーの資格を取ることでしたが、
渡米しアメリカの大学で学ぶ経済力はありませんでした。

 

結局…

私は大学卒業時に治療家の道に進むことはなく、まったく
治療とは無縁の世界で就職をすることになりました。

就職後もいつも頭の片隅には治療家への思いがありました。

それは日増しに強くなり、やはりチャレンジしたいという
思いから、それは決意へと変わって行きました。

しかし、やはり渡米するには難しい状況に変わりはありませんでした。
そこで私は鍼灸師の資格を取得する道を選びました。

その理由は4つあります。

ひとつは、過去に自身が経験したことから鍼灸治療の効果に確信があったこと。

二つ目は、鍼灸師は国家資格であるため、最低限の教育水準は整っていること。

三つ目は、鍼灸師には独立開業権があるため、治療院を開業することもできること。

四つ目は、日本では鍼灸師もスポーツトレーナーの仕事をやっている人が多いこと。

そんな理由から私は志を持って鍼灸学校に入学しました。

 

身体の奥深さを知る

今まで全く無縁だった医学の世界はとても新鮮で、
身体の奥深さを知り勉強に夢中になりました。

日夜問わず、まるで何かにとりつかれたかの
ように勉強・技術の習得に励みました。

おそらく今までの人生の中で一番勉強した3年間でした。

もちろん無事に鍼灸師の国家資格も取得しました。

鍼灸学校時代には、私の志をさらに強いものに
してくれる経験をしました。

 

椎間板ヘルニアを患う

それは、私自身が腰の椎間板ヘルニアを患ったことでした。

授業中も座っているのがつらく、立ったまま授業を
受けたことも一度や二度ではありません。

授業が終わると学校の付属治療院に行き、鍼治療を受けました。

時間はかかりましたが、徐々に症状は改善されていき、
腰の痛みや足のしびれは消えて行きました。

この辛かった経験も、私にとっては治療家の道に
進むことに確信を持てた経験でした。

全ては病に苦しむ人に貢献するために。

 

いばらの道は苦悩の連続でした。

専門学校時代から、卒業後の開業を目指して
色んな治療院で働きました。

それはもう十人十色で、治療院ごとに考え方も手法も違う。

そんな中で自分はどういう理論と技術を軸に進んでいくべきか、
学べば学ぶほど苦悩の日々が続きました。

 

同時に

学費と生活費を稼ぐために深夜も24時間
営業のマッサージ店で働きました。

3年間の充実した専門学校時代でしたが、常に頭にあったのは

「卒業後どういう治療院を開業するか」

ということでした。

掃いて捨てるほどある治療院の中で、患者さんに求められる
真の治療家になるには、それは簡単なことではありません。

険しいいばらの道が続くことは当然覚悟のうえでした。

 

決めました

まずは、卒業後の1年は出張治療をし、その合間に
開業準備を進めることにしました。

しかしいくら国家資格とは言え、免許取りたての
鍼灸師に出張治療の依頼が殺到するわけがありません。

友人、知人に無料で効果を実感してもらい、紹介を
いただき、またそこで紹介をいただくという形で
こつこつと信頼を積み上げて行きました。

駆け出しの私には治せない症状も多く、満足のいく
治療を提供できずに悶々とする日々は続きました。

 

師匠との出会いが新たな道へ

私はその頃からもうひとつ、鍼灸とは違う世界を学び始めていました。
それが「カイロプラクティック」です。

日本では法制化されていない無資格(民間資格)の代替医療ですが、
アメリカやカナダでは専門の大学まであるドクターの資格です。

 

カイロプラクティックを学ぶきっかけ

私がカイロプラクティックを学ぶきっかけとなったのは、 鍼灸専門学校時代にスポーツ医学を教わった先生の影響でした。

その先生は、アメリカのカイロプラクティック大学を
卒業し、D.C.(ドクター・オブ・カイロプラクティック)
を取得、ロサンゼルスでも開院されていた先生です。

その先生は治療技術・知識はもちろんですが、治療家
としてだけでなく1人の人間としても魅力的でした。

 

「この先生に学びたい」

私は「この先生に学びたい」と思い、弟子入りさせていただくことになりました。

カイロプラクティックを基礎から徹底的に学び、
安全で有効な施術が出来るよう鍛錬を重ねました。

当然の事ですが、何かを習得するというのは
短期間で簡単にできるものではありません。

今でも師匠からは「赤子」扱いです。

ですが、いつかは師匠を超えたいという思いがあります。
それが恩返しであるとも思っています。

 

『まねぶ』

何かを習得しようとする時に、私が大切にしている
考え方があります。それは『まねぶ』ことです。

『まね』をして『まなぶ』ということ。

以前の私は、独自で生み出した治療法や独創的な
治療法が必要だと考えていた時期もありました。

しかしそれは、決して患者さんのためではなく、
『自己満足』のためだと気付いたのです。

 

『型破り』ではなく、『型なし』

サッカーでも、アイディア溢れるトリッキーな
プレーが人々を魅了することは多々あります。

しかし、ドリブルやパスがろくにできない選手が、独創性
溢れる『型破り』なプレーをできるはずがありません。

どこかで誰かが言っていた、こんな言葉を思い出しました。

基本ができていないのに独自のものを作り上げるというのは不可能。
それは『型破り』ではなく、『型なし』と言うのです。

私は師匠から『まねぶ』ことで、いつかは超えられるように
という思いで、これからも更に鍛錬を重ねて行きます。

 

ようやく自分の目指す理想の治療像が

このように鍼灸とカイロプラクティックという2つの
代替医療を学んでいく中で…

鍼灸の優れているところとカイロプラクティックの
優れているところを融合させる治療法を軸にしていく
という、自分の中での理想像が浮かび上がってきました。

 

共通するもの

中国発祥の鍼灸と、アメリカ発祥のカイロプラクティック
では考え方も違うし、手技手法も違います。

しかし、共通は「医学」であり、「苦しむ患者さんの為に貢献できるもの」だということです。

鍼灸にない世界はカイロプラクティックの考え方で補い、
カイロプラクティックにない世界は鍼灸の考え方で補うこともできます。

代替医療における東洋医学と西洋医学の
クロスカルチャーと言ったところでしょうか。

 

もがいた日々があったからこそ

明けない夜がないように、苦悩の日々は
いつまでも続くわけではありません。

もがいた日々があったからこそ、進むべき道、
明るい光が見えてきたと思います。

腰痛・肩凝りなどの日常病から、スポーツ障害や内臓の不調、自律神経失調症
まで幅広く対応できる知識と技術を備え、痛みに悩まされている患者さんに
貢献出来る治療像がようやく出来上がって来ました。

これからももがき続け、光に向かって一歩一歩
しっかりと進み続けると強く決心しました。

 

いつまでも変わらぬ信念を持ち続けて

たくさんのご縁を頂き、多くの方に支えられながら、
板橋区上板橋にて開院することができました。

開院した現在、地域のみなさまの健康に貢献できますよう、
日々全力で治療にあたらせていただいています。

症状が良くなり笑顔で感謝の言葉を頂いた時が、
この道を選んで本当に良かったと思える幸せな時です。

1人ひとりの患者様に親身になってお話を聞き、
丁寧に真心込めて治療する。

『治すことにこだわる本気の治療院』

これが私の治療家としての信念です。

この信念は治療家として一生涯貫き通して
行きますし、ブレることはありません。

医学の勉強・情報収集を怠らず、技術を磨き続け、
日々進歩し日々進化する治療家であり続けます。

開院した当時の思いを、今もこれからも変わらず
持ち続け精進していきたいと思います。

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